二次予備合宿。前期練成の中で精神的、体力的共に一番つらいと言われるあの合宿である。この合宿を乗り越えられるかどうかが問題だとか、地獄の蓬莱ピストンとか、二次予備にまつわる話は多い。しかし、去年私が参加した二次予備のpartyはいつもの蓬莱山に行くコースではなく、暮雪山荘から北に向かう蛇谷コースを使ったため、その辛さを体験することはできなかった。私が行った蛇谷コースも、落石が多かったり、下山地点からスキー場のゲレンデをピストンしたりと、蓬莱コースとは違った辛さがあったのも事実ではあるが、それはまた別の機会に…。そんな訳で、蓬莱コースを知らない私は、他の1回生と同じように新鮮な気持ちで合宿当日を迎えたのであった。

 

1日目。正直なところ、今日はイン谷口から八雲ヶ原までいつものダケ道を登る、特に面白みのない行程である。スタートは勿論比良駅。ここからイン谷口までが意外に長かった。しかも暑い。7月の初旬といえども日中の最高気温は30度を軽く超える。そして合宿当日の天気は、見事までの快晴。最悪である。拭いても拭いても止まらぬ汗をタオルに無理矢理しみこませながらひた歩く。

1時間ほどでイン谷口に着いた。そこから大山口、カモシカ台と進み北比良峠へと向かう。北比良峠までは暑い以外の感情がなかった記憶しかない。30kg背負って山を登るような日ではなかったことだけは確かである。

北比良峠に到着。そこで私は目にした ―― 今までで一番美しい北比良峠からの景色を。新緑の木々。宙まで続く青空。彼方に見える雲の連なり。そして青く輝く琵琶湖。全てが美しかった。写真を撮ることを忘れてしまうほどに。練成のためダウンを取ることはなかったが、ずっとあの景色を見ていたかったと今でも思う。

北比良峠から少し歩いて八雲ヶ原へ。外ワークを終え、内ワークへと移る。私は今回食当であり、夕食のメニューとして、トマトやナス、アスパラガスをふんだんに入れた夏野菜カレーを計画していた。とそこに、61期のS藤が訳の分からないことを言い出した ―自分はナス嫌いです―。嫌いならなぜ直ミに聞いた時に言わなかったのか。忘れていたと言う。今更言われてもどうしようもないぞ。まあ多分大丈夫です、食べます。やかましいわ。時間もないので作業に取り掛かる。さぁそろそろ出来上がる、というときに、今度は別のテントで調理していた、同じく食当で60期のS木が意味不明なことを言い出した ―菜箸忘れたからおたま貸して―。忘れた?うん。何やってんだお前。ごめん。仕方なくおたまを渡す。紆余曲折を経てカレーが完成。旨かった。片づけ、反省を終え就寝。行程のきつい明日に備える。

 

2日目。天候は曇り。太陽が照り付けるよりかはマシか。そんなことを思いながら蓬莱山に向け出発する。

北比良峠を通過して以降、これと言って何もなかった。60期のT己の恋話で自分が1人勝手に盛り上がっていたぐらいである。

ひたすら歩きに歩いて、遂にゲレンデの下へ辿り着いた。そこから見えていたゲレンデの傾斜はせいぜい20度ぐらいであろうか。「ゲレンデは緑の壁」と事前に聞いていたため、この程度かと拍子抜けしてしまった。まあこんなもんでしょ。そう思いながらゲレンデを登りカーブを曲がると、目の前に緑の壁が現れた。これを登るのか。どうやらそのようである。登る以外道はないため仕方なくつき進んでいく。滝を遡上する鯉にでもなったかのような気分である。

 

やっとの思いで登ると、遠くに雲に隠れたピークが見えた。あそこまで行くのか。どうやらそのようである。登る以外道はないため仕方なくつき進んでいく。滝を遡上する鰻にでもなったかのような気分である。

ピークに着いた。すると、さっきまで天井を覆いかぶさっていた雲が切れ、束の間の青空が見える。一面に広がる芝生の絨毯と、目の高さに広がる雲の連なり。そして青く輝く琵琶湖。とても綺麗だった。差し入れをたいらげ、名残惜しげに頂上を去る。あとは下るだけである。

本当の地獄は、1日目の炎天下の急登でも、2日目前半の単調な稜線歩きでも、蓬莱ピストンでもなかった。延々と続く下りである。昼下がりの蒸し暑さが、ピストンで疲弊した体を襲う。無理矢理会話に持ち込み気を紛らわす。が、最後は話のネタもなくなり、あと少しで合宿が終わるという希望だけをエネルギーに変え、死んだ顔をしながら下山地点にたどり着いた。これで終わった―。そう思ったのも束の間、今度は夕立が自分達を襲う。土砂降りの中、ゴアを着て駅に向かう。そしていつものKTTOSへ。いつもは打ち上げさえすれば、大抵のしんどさは吹き飛ぶものだが、今回はそうはいかなかった。二次予備の本当の辛さをいやというほど思い知った初夏の比良であった…。